white day

Processed with VSCOcam

大人が微笑む
幼い恋の純度

同居人が家に着くなりお土産を渡してきた。あまりにも自然すぎたが、そう。今日はホワイトデーだ。


バレンタインとホワイトデーは、いつも対である。ひと月を要するこのプレゼント交換は、学生の頃はもっと大きな意味を持つイベントだった。淡い期待と不安を胸に、世の女子男子が一つの包みを介して一喜一憂する。包みの大きさや内容を前に、必死に何らかの意味を見いだそうとする。時には深読みしてしまったり、逆にメッセージに気付かずに通り過ぎていったり、2月14日から今日3月14日までのひと月にはあらゆるドラマが生まれる。


今日、同居人はある小学校でその現場を目撃したらしい。小学校高学年ほどその男の子は、バレンタインの返事をするために女の子を呼び出し、何かを告げて双方、別々の方向に走り去っていった。聞くところ、両思いだったそうだ。聞いているこちらまで恥ずかしくなるようだ。


思い返せば幼すぎる頃の恋ほど、単純で滑稽で純粋なものはなかったように思う。ただ本能で「好き」だったのだ。スポーツができるから、かっこいいから、かわいいから、字がうまいから、勉強ができるから、みんなを笑わせてくれるから。私の場合はなんか変だから、好きだったのを覚えている。今考えても変である。優しさや経済力や生まれなど、自分にとっての利害とプライドが邪魔をしない純粋な感情が幼い私たちにはあったのだ。