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善悪か
損得か

人は生きるとき、何かしら自分なりのを判断基準をつくる。祖父は「善悪」「損得」どちらかを据えたときに、事態はより明確に姿を現すと言った。これは社会に生きる上で限りなくシンプルで限りなく難しい。自分にとっての「善悪」「損得」。それは他人の存在を切り離した選択だ。

私の判断基準は常に「誰かを傷つけないかどうか」だった。祖父は良いじゃないかと笑ったが、実際そううまくもいかない。自分を圧して誰かを守っても、それが自己満足にしかならない場合も多いにある。そう考えたとき、祖父の言う自分を主軸とした判断基準はどんなに強固なものだろうと思った。

この人生は自分のものだ。前に進むか立ち止まるかも自分の意思のままだ。他人は他人でしかない。ならば何よりも、自分に忠実に生きることこそ本来の姿なのかもしれない。