hypocrite

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偽善の
本当の意味

日本にはもともと「偽善」などという言葉はなかったという。妙に納得してしまった。

「それは偽善だ」と何もしないより、偽善者と呼ばれながら手を差し伸べ、その行為に自ら頭を抱える。そのほうが人間らしいと思うのは私だけなんだろうか。思惑や打算を含んだとしても、その瞬間の優しさが救うものもあるのではないか。

そもそも優しさに真偽などあるのだろうか。一貫した思考のもとに生きる人間が少ないのに、一時の言動と前後の愚行をつなげるストーリーは必要なのか。善意の行いだけによれば、目の前の事情にすべての神経を傾け、思いのままに動ければもっとシンプルに良いサイクルは出来ると思う。